TEL.0242-27-7427
七百有余年の歴史
会津大鎮守 諏方神社

地鎮祭/初宮詣/七五三詣/合格祈願/安全祈願/厄除け/出張祭典/竣工落成式
各種祈願を承っております
會津諏方暦について
永享年間(1429~1440)当社神官等が研究し歴の発行を始め、貞享元年(1684)改暦の詔があった時、将軍家(五代綱吉候)の許可を得て世に頒布され関東・東北において農業の発展等に貢献してまいりましたが、明治の世になり絶えてしまいました。
連歌所について
当神社には連歌所と言われる学問所が有り、地域文化の向上に努めておりました。ここで修学し、後に京都に上り天皇の御前講義を仰せつかる人が出たほどの学問所で、誠に名誉なこと、大神さまのご神徳によるものとの伝えがあります。
隠里の石
当神社には隠里の石と言われる平らな石が有ります。蒲生氏郷候が鶴ヶ城築城の時 、城から運んだものと伝えられています。「古代の墳墓の墓石では」と言う説が有ります。
会津大鎮守・諏方神社は、会津大鎮守六社のひとつで、福島県会津若松市に鎮座する格式の高い神社となっております。地鎮祭・初宮詣り・七五三詣り・合格祈願・安全祈願・厄払い・出張祭典・竣工落成式など各種祈願、承ります。
諏方(すわ)神社御由緒

創建永仁2年(1294)、御祭神 建御名方神 (タケミナカタノカミ)
<御由緒>
地域の方々より「おすわさま」と親しまれている。当神社は、時の黒川城主 葦名盛宗候(五代)が武門の神徳を仰ぎ、永仁二年(1294)八月信州の諏訪大神を勧請し、領内鎮護の大神とし創祀したのが起源であります。文明三年(1471)、天文七年(1538)黒川城下に大火が起こり、この時神社も類焼し、社殿と共に社宝や古文書等の多くが消失しました。文禄二年(1593)蒲生氏郷候が城郭改築、城下町建設の時、郭内一社城下総鎮守となされました。寛文七年(1667)保科正之候の代に領内の各神社を調査され、当社を会津大鎮守六柱(諏方、伊佐須美、磐椅、蚕養国、心清水八幡、西村八幡)の首班に列し城下総鎮守となされました。
その後、代々の藩主が率先し、大神を崇敬され、人々の信仰も厚く、元禄十五年(1702)東山天皇より諏方神社に正一位を授けられてより、由来「授光祭」と称し、二夜三日の祭礼が執行されて来ましたが、明治戊辰の役以後絶えてしまいました。また社殿等もこの時に灰燼に帰してしまいました。明治二年(1869)本殿・幣殿のみの仮社殿として再建されてまいりましたが、平成五年(1993)に平成天皇御大札記念及び遷座七百年記念事業として、氏子・崇敬者の方々の力の結集により本殿・幣殿・拝殿の再建が戊辰の戦以前の規範で成され今日に至っております。
<御神徳>
当神社は会津城下総鎮守、郷土の平和と警栄の守護神として、世々の領主・藩主はもとより城下の人々に至るまで必勝、除災招福、家内安全、商売繁盛の神として篤く尊崇されてまいりました。この様な歴史的背景から現代においても数多の崇敬者から心のよりどころとして仰がれております。
境内見取り図

清々しい空気と厳かな雰囲気に包まれ、少し裏道に入る、とても静かな歴史を感じる神社「会津大鎮守・諏方(すわ)神社」は、会津大鎮守六社のひとつで、福島県会津若松市に鎮座する格式の高い神社。創建永仁2年(1294)、御祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)です。
戊辰戦争の激戦区となり、一度木の鳥居以外を全て消失してしまったが、木の鳥居に戊辰戦争の痕跡の銃弾の跡が残っています。
会社関連~個人まで
様々な人生の節目の際に祈祷を行っております。
参拝作法は、「二礼二拍手一礼」の作法が基本形となっています。
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初宮詣り、七五三詣り、厄払いなど各種ご祈祷を随時受付ております。
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出張祭典は会津若松市周辺エリア(その他の地域はご相談下さい)
※国立公文書館デジタルアーカイブより
ご案内
名称
会津大鎮守・諏方(すわ)神社
住所
〒965-0862 福島県会津若松市本町10-32
TEL
0242-27-7427
宮司
諏訪修一
創建
永仁2年(1294年)
アクセス
JR只見線「西若松駅」から徒歩12分、看護専門学校北
駐車場あり
お問合せ

諏方神社では、各種ご祈願を承ります
会社関連(仕事はじめ・事務所開き・商売繁盛など)、お家のこと(厄祓い・お宮参り・七五三他)等のご祈願は随時申し受けておりますので詳しくは社務所へお尋ねください。
TEL.0242-27-7427